ビザンツ帝国について

ビザンツ帝国は、東ローマ帝国とも呼ばれます。395年に東西に分割して統治されることとなったローマ帝国のうち、東方領に由来する国家だからです。476年に西ローマ帝国が滅んでその帝位が東ローマ皇帝に返されると、東ローマ帝国はただ一つの正統なローマ帝国となりました。そう、ビザンツ帝国は正式には「ローマ帝国」なのです。

けれどもその姿は、古代のローマ帝国とは随分と違っています。ローマ帝国が時代に合わせて変化してきたためです。信仰は伝統的な多神教からキリスト教へ。首都はローマからコンスタンティノープルへ。版図も地中海沿岸の全域とガリアやブリテン島からメソポタミアにまで及ぶ広大なものから、バルカン半島南部とアナトリアを中心とするものへと変わりました。それに伴い、使われる言語もラテン語からギリシャ語へと変わっていきます。その他にも様々な変化がありました。

そのため、後の時代の人々は、この「変化したローマ帝国」に対して「ビザンツ帝国」・「ビザンティン帝国」という呼称を与えました。ビザンツ(独:Byzanz)・ビザンティン(英:Byzantine)というのは、首都コンスタンティノープルの古い名前であるビュザンティオン(希:Βυζάντιον, Byzantion)に由来しています。

しかし、もう一度言いますが、ビザンツ帝国は正式にはローマ帝国なのです。実際、ビザンツ帝国の人々は自分たちの国は「ローマ帝国」であり、自分たちは「ローマ人」であると考えていました。

ビザンツの人たちが著した史料にも「ローマ人」、「ローマ帝国」という表現はあっても、「ビザンツ」という表現はありません。

もちろんビザンツ帝国の学識ある人々はギリシャの古典を重んじましたから、帝都コンスタンティノープルのことを古名でビュザンティオンと記している場合があります。しかし、自分たちの国を指して「ビザンツ」という表記はしていません。確かにビザンツ帝国と呼ばれる国は、古代のローマ帝国から連綿と続く歴史を持った国でした。

そしてこの国は絶え間なく民族移動の波に晒される「文明の十字路」とも呼ばれる地で、メフメト2世率いるオスマン朝によって1453年5月29日に帝都を陥れられるまで千百年に渡って存在し続けました。しかもその歴史は決して単なる衰亡の歴史ではありません。

この国は押し寄せる危機から幾度も立ち上がりました。そして9世紀から11世紀には拡大の時代を迎え、バシレイオス2世(位976-1025)のころにその国勢は極点に達しました。しかも、この国は末期においてさえパライオロゴス朝ルネサンスと呼ばれる文化的な隆盛を見せています。そのうえ、帝国が滅んだ今日でも帝国の制度や宗教、文化が世界に与えた多大な影響は残り続けています。ビザンツ帝国は、まさに奇跡とも言うべき希有な歴史を持った国なのです。