ビザンツ帝国について

「ビザンツ帝国」という呼び方をはじめとして、「ビザンティン帝国」、「東ローマ帝国」、他にも「中世ローマ帝国」、「ギリシア帝国」など、この国はいろんな名前で呼ばれます。どういう視点でこの国を見るかによっていろいろと呼び方が違っているのです。けれどもこれらの呼び名はどれも正式名称ではありません。正式名称は「ローマ帝国」です。当然と言えば当然で、「ビザンツ帝国」は古代のローマ帝国からずっと続いてきた国なのです。

けれどもその姿は、古代のローマ帝国とは随分と違っています。ローマ帝国が時代に合わせて変化してきたためです。信仰は伝統的な多神教からキリスト教へ。首都はローマからコンスタンティノープルへ。版図も地中海沿岸の全域とガリアやブリテン島からメソポタミアにまで及ぶ広大なものから、バルカン半島南部とアナトリアを中心とするものへと変わりました。それに伴い、使われる言語もラテン語からギリシャ語へと変わっていきます。その他にも様々な変化がありました。

そのため、後の時代の人々は、この「変化したローマ帝国」に対して様々な呼び名を与えて古代のローマ帝国と区別してきたのです。とりわけ「ビザンツ」(独:Byzanz)・「ビザンティン」(英:Byzantine)という呼び名は広く使われていますが、この名は首都コンスタンティノープルの古い名前であるビュザンティオン(希:Βυζάντιον, Byzantion)に由来しています。

しかし、もう一度言いますが、ビザンツ帝国は正式にはローマ帝国なのです。実際、ビザンツ帝国の人々は自分たちの国は「ローマ帝国」であり、自分たちは「ローマ人」であると考えていました。

そしてこの国は絶え間なく様々な集団の波に晒される「文明の十字路」とも呼ばれる地で、330年5月11日のコンスタンティヌス大帝によるコンスタンティノープル開都から、1453年5月29日のメフメト2世率いるオスマン朝による帝都攻略まで、千百年に渡って存続しました。しかもその歴史は決して単なる衰亡の歴史ではありません。

この国は押し寄せる危機から幾度も立ち上がりました。そして9世紀から11世紀には拡大の時代を迎え、バシレイオス2世(位976-1025)のころにその国勢は極点に達しました。しかも、この国は末期においてさえパライオロゴス朝ルネサンスと呼ばれる文化的な隆盛を見せています。そのうえ、帝国が滅んだ今日でも帝国の制度や宗教、文化が世界に与えた多大な影響は生き続けています。ビザンツ帝国は、まさに奇跡とも言うべき希有な歴史を持った国なのです。